遠野物語教室・昔話教室合同研修
タイマグラ紀行(遠野物語教室・昔話教室合同研修)
10月29日、朝は晴れていたが午後からは雨になる予報であった。川井村を目指して立丸峠に向かう。車中、めぼしいところを紹介しながら行く。
土淵町大字栃内の西内は『拾遺』213の兄弟が狼と闘った話がある。それにしても弟を助けない兄の心根がわからない。『聴耳草紙』118番の「長須太マンコ」も淋しい話だ。
恩徳という地名は「うんと奥」だと三浦徳蔵さんは言う。その三浦さんの家の前を過ぎて、「拾遺』257の平助ハッケの崩れた草屋根の前で車を止める。大正7年まで盛況であった恩徳金山は、今になっては痕跡もわずかだ。そこで働いた恩徳平之助が奇妙なハッケをおいて、一時有名で八卦を頼みにくる者が多かった。そのハッケのおき方は、内藤正敏『聞き書き遠野物語』や川島秀一『ザシキワラシの見えるとき』に詳しい。
立丸峠の木のコンセサマについても内藤さんの本にある。たぶん三浦徳蔵さんからの聞き取りであろう。のどかな時代があったのだ。道路トンネルが調査線に入ったという。やがてトンネルが貫通すると、物語の世界もは遠くに行ってしまうのだろう。
峠を下ると白見牧場が広がっている。山奈宗真の若い頃の仕事である。山奈は小国の三浦家から妻をもらって、維新の後には小国・江繋にいろいろ貢献している。その三浦家は下湯沢に長屋門を構えた豪邸があったはずである。それが『物語』63にマヨイガ伝説として語られる。いまは昔を想像することも出来ない平凡な民家となっている。
川井村の北上山地民俗資料館を見学する。山地の生活資料を豊富に集めて説得力のあるものになっている。川井村をコンパクトにビデオで紹介してわかりやすかった。
バスを戻して、小国川と閉伊川との合流点が『物語』54の「機織り淵」だ。この話の背後にあったであろう長者と作男などの人間像や生活の姿もおどろおどろだ。狂気を感じる。淵にまつわる不気味な伝説のあるのも閉伊川の特徴だ。
閉川の機織り渕 小国川の合流点にある
江繋に戻って西塔幸子記念館に寄る。まさに薄倖の歌人だ。辺地と言われる土地に挺身して埋もれた多くの人があったことを忘れてはならない。入口の建碑に時の小学校長の佐藤誠輔の署名があった。先人を顕彰する心の証しとなっている。
そこから早池峰連山と薬師岳の間の、小田越を越えて大迫へ向かう細い道を分け入る。タイマグラまで10キロ。小雨が下りてきた。タイマグラはアイヌ語で水の豊かな森、まさに文字通り霞んだ早池峰をバックに薬師川が流れ出していた。聳える早池峰の峰々にまつわる壮大な伝説が語られるいる(『物語』65,「拾遺」121,122)。
早池峰山の遠野からの登山口河原の坊(『拾遺』166)の小田越は薬師と早池峰の間にある。往時の道者はこの道を薬師から早池峰へと掛けたのだろう。もとは登山者を迎えた木の大鳥居は朽ちたのか、倒れて今はない。標高1240メートル。冷え冷えとした大気と霧雨が、霊山の興趣を添えてくれた。
大迫口に下って、岳の早池峰神社に寄る。神楽の伝承活動に熱心に取り組んでいる頼もしさが見られた。
全行程123キロ、『遠野物語』の幻夢の世界を巡る旅だった。(文責 高柳)



