母也明神

By tmkenkyu on 2007/11/18 12:02 in 遠野物語散歩 | No Comments

2007年度 遠野物語散歩 後期第2回
  母也明神
                                            
1 賀茂(明神)神社
 遠野の町から松崎のバイパスに出ると鎮守の森がある。賀茂明神の社である。中世の勧請と伝えられているが、桜の古樹が時代を物語っている。昔の境内には広い馬場があったという。

2 諏訪神社
 松崎町光興寺に入るとまず、諏訪明神社がある。語り部の白幡ミヨシさんの裏山だ。
 承久3年(1221)、遠野の中世領主が信濃国に出陣したとき、諏訪大神の夢のお告げで蜈蚣(むかで)を退治して神刀を与えられたという伝説がある。その際に諏訪明神をの分霊を勧請した。境内のカエデも諏訪神社から移して植えたものといわれる。
 遠野祭りの「南部囃子」にも「秋はお諏訪のもみじ狩り」と唄われている。

3 清心尼公墓
 その近くに女殿様、清心尼の墓が遷されてある。江戸時代のはじめごろ、遠野南部20代直政の室で、直政の死後、女ながら家を継いだ。清廉方正な政治を行ったという。正保元年(1644)横田城で没した。59歳。

4 阿曽沼歴代の碑
 もう少しいくと、阿曽沼歴代の碑がある。阿曽沼氏は中世の遠野領主。遠野殿といわれていた。慶長5年(1600)に遠野を追われて、遠野は南部の支配をうけたので、阿曽沼氏の事績は判らないことが多く、遺物も少ない。中世寺院の養安寺にあった五輪塔を形見に見立てている。この碑が建てられたのは、昭和28年のこと。

 

5 村兵稲荷
 ついで、光興寺の金が沢にある村兵稲荷を拝観した。村兵は江戸時代、新町にあった豪商で、代々襲名している村上兵右衛門家の屋号。藩の御用商人として盛大を極めた。『遠野物語』にもいくつか話がある。
 この稲荷社は、文政元年(1818)2代目が建て主となり、江戸の庭師を招いてつくったという。豪華な庭園である。伏見稲荷から神階を請けたのは天保2年(1831)という。

6 横田城跡
 文治5年(1189)、頼朝の平泉攻めの後に阿曽沼氏が遠野郷の地頭となった。遠野に移住した年代は明らかではないが、阿曽沼親綱が遠野郷を支配して横田城を築いたのは建保年中(1213~1218)の頃と思われる。
 細い坂道を登ると山城の様子がうかがえる。遠野盆地を見渡す所に薬師堂の祠があり、ヤマザクラ・ヒガンザクラの古樹だけが、歴史を物語っている。

7 元八幡宮
 阿曽沼時代に、横田城の北東、鬼門の方角の守りとして宮代に八幡社があった。寛文3年(1663)に驚岡山に遷されて、今の郷社八幡宮に引き継がれている。明治維新後、荒れていた宮代を再興して元八幡という。社頭に夫婦スギ桜があって、根元で抱き合っている。

8 松崎観音
 柳田国男は、明治42年の遠野紀行のとき、この観音堂の下を通った。 遠野の町に最も近い観音であったので参拝者が多く、柳田も心に残ったので『遠野物語』序文に記されることになる。ここにも境内に桜の老木がある。

9 母也明神、堰神様
 「拾遺」28には、哀れな生け贄と、それを占った巫女婆さんの話がある。松崎町矢崎の奥には、堰神様として祀られ、いまでも4月の壬辰の日には、大豆と甘酒を供えて祀っている。小さな石碑だ。傍を流れる近代的な用水路と対照的だ。
 母巫女を祀った母也明神は、少し離れた小高い所に遷されてある。